『おばけにょうぼう』の依頼をいただいたとき、
これはわたしには描けない、と思った。
すべてのお仕事依頼に対していつもそう思うけど、
今回はとっても強くそう思った。
おばけ(妖怪)っていうのはキャラがたってるし、
キャラクターものは苦手だし、描きたいと思わないし、
登場人物が多すぎるし、それかそれから・・・
描けない理由が出て来るわ、出て来るわ。
じゃあいったい何なら描けるのさ
それに対して筒井さんからのお返事は
「マンガ的というよりは、きれいで怪しい雰囲気のあるものにしたい」
「妖怪はキャラっぽく扱われてるものが多いけど
なにか特定の妖怪というよりは漠然と“異形のものたち”という感じで」
というものだった。
いけい?
この“異形のものたち”っていう表現に反応。
以前、東雅夫さんからいただいた『幽』の「猫の怪」特集号、
その中に「哀しき異形、猫娘のお玉」というキャッチがあった。
妖怪って、
お化けって、
バケモノって、
そうか「異形」なんだ。
人間からみて形が異なるものたちのことなんだ。
異形だから怖がられたり気の毒がられたりするけれど、
『おばけにょうぼう』のなかの「異形」たちは
とても楽しそうにすごしてる。
『おばけにょうぼう』のキャッチコピーは
「楽しき異形たち」だな、と思ったら目の前が開けた。
みんな異なる形だもんねぇ
人間からみたら異形、
ただそれだけの理由で
こそこそ隠れて生きる必要もないし、
鬱々と暮らす理由もない。
きっとみんな楽しく生きてるに違いない。
彼らからしたら
人間のほうが異形なんだから。
人間って皮膚見えちゃってるよねー
文章をかかれた内田麟太郎さんの
懐の深さにもずいぶん助けられた。
わたしが提出したラフをご覧になって
「こんなにイメージがずれたのは初めてです。
でも、そこが面白くて「深いなあ」と感心しています。
この深さに付き合ってみたいと思っています」
と言ってくださったのだ。
「イメージと違う」から「ダメ」なのではなくて、
「そこが面白い」と言ってくださった内田さん。
人間の大きさを感じました
内田さんも筒井さんも、
自由に考えて描いていいと最初っから言ってくださってたのだ。
筒井さんからのメールを読み返してみても
ずっとそういう意味のことを書き続けてくれていた。
なのに、自分の中で納得するまでに時間がかかってしまった。
きっとおふたりとも
「だから最初からいってるのにーっ!」
と思ったことだろう。
呆れちゃうね
うまく言えないけれど、
スイッチが入る瞬間がある。
『うらしまたろう』のときも
『いるの いないの』のときも
『おばけにょうぼう』のときも。
描けない、無理、できません・・・の後ろ向きな期間を経て、
ある時なにかをきっかけに
「いけるかも!楽しいかも!」
となるのだ。
スイッチは偶然に入るのね
『うらしまたろう』は
四季の部屋の美しさで、
『いるの いないの』は
おばあさん家が猫屋敷だったことで、
そして
『おばけにょうぼう』は
娘が猫又を飼ってることで、
一気に楽しくなってスイッチが入り、
これなら描ける!
これは描きたい!!
描かせてください!!!
と思うようになったのだ。
妄想炸裂ですか
『おばけにょうぼう』のバケモノ達は、
もしかしたら怖いほうが良かったのかもしれない。
読んだひとが「全然怖くないじゃん」って
がっかりしたかもしれない。
でもわたしにとって、ここに出て来るバケモノ達は
どのコもみんな愛おしくかわいいのだ。
白木のことが愛おしくかわいいのと同じように。
『おばけにょうぼう』のなかには
悪いバケモノも怖いバケモノも出て来ない。
見た目がちょっとばかり個性的なだけ。
眠れない夜は
バケモノ達の宴会に参加させてもらえばいいじゃないか。
そんな気持ちで楽しく描いた。
白木っぽいのもでてるよ〜
『おばけにょうぼう』、
書店で見かけたら、ぜひ読んでみてください。
絵本ナビでは
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※
京都のnowakiで開催中の個展では
『おばけにょうぼう』の原画5点を展示しています。
絵本も缶バッヂ付きで販売中。
『うらしまたろう』『いるの いないの』も販売してます。
7,8日はお休みで、
9〜12日迄、11時〜19時迄です。
『いるの いないの』の原画は
金沢の石川近代文学館にて全点展示中です。
はじまりのものがたり 絵本の世界 [前期]怪談えほん原画展
こちらは15日まで、9時〜17時まで、
会期中無休で開催してます。