2015年03月13日

絵本 さくらいろのりゅう


絵本『さくらいろのりゅう』(アリス館)が
発売されました。

長い道のりだった・・・

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2011年、アリス館の編集Yさんのところへ
作品の持ち込みに行ったのは
震災の一ヶ月ほど前のことだった。
このころ、
本当になんにも仕事がなくて
いろんな人にお願いして
編集のかたを紹介していただき
持ち込みにまわっていたのだった。

東日本大震災がおきた翌月ぐらいに
岩崎書店のHさんのところへ持ち込みにいき、
運良く『いるの いないの』を描かせて頂き、
2012年に出版された。

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『いるの いないの』が話題になったので、
「これでどんどん仕事がくるね!」
なんていうまわりからの言葉とはうらはらに
新たな仕事依頼はまったくこなかった。

また何も仕事のない日が続いていた。

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そんな時
Yさんからメールが届いた。
『いるの いないの』を送ったことに対する
お礼のメールだった。

Yさんは、その時産休中とのことだった。
「職場復帰予定はまだ先なのだけど
打ち合わせなどは出来るので、
会ってお話しませんか?」

2012年4月、水道橋駅前のカフェで
Yさんにお会いした。

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「絵本」は描いてみたいかもしれないけれど(まだ曖昧)
でもお話は書けないし、書きたくもない」
と持ち込みの時にわたしが言っていたのを
覚えていて下さったYさんは、
「お話を書くことは一旦置いておきましょう」
「テーマみたいなものをひとつ決めて
そこからイメージした絵を何枚か描いてみましょう」
「何枚か絵がたまったところで
どなたかに文章を書いてもらうことも出来ますよ」
たしか、そのようなことを言われた気がする。

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絵ならいくらでも描ける。

テーマは「夜」(「夜にやりたいこと」だったっけかな…)

二ヶ月後ぐらいに会う約束をして、
その時までに絵を一枚描いて来る。

それを何度か繰り返した。

途中、個展があったり、
絵本『おばけにょうぼう』の制作に没頭したり、
「夜」の絵を描けない時期もしばらくあった。

「夜」をテーマにした絵は、結局3枚だけ描いた。
3枚目の絵を描き終えた時に
「あぁ、これではダメだ」と思った。

一枚づつの絵が完結しすぎていて
流れのある物語を受け付けない。

このまま描き続けていっても
「夜」というタイトルの個展は出来そうだけど
絵本は出来ないだろう・・・。
そのことをYさんに伝えた。

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暗礁に乗り上げる、とは
こういうことを言うのだろうか。

さて、どうするか。

時は既に2013年になっていて、
Yさんの産休はとっくにあけ、
お仕事復帰されていた。

「このまま止めてしまうのはいやです」
とYさんが言ってくださり、
また会ってお話することにした。

どういう話しの流れだったか忘れたけれど、
「龍の女の子のお話が描きたいです」
とわたしが言った。

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龍モデルを紙粘土で作りました


2012年の12月にギャラリーエフで聞いた
篠笛奏者のことさんの演奏がきっかけだった。
ことさんのアルバムタイトルは「龍の目醒め」。
ミュージックビデオの中のことさんは
赤い龍をイメージしたドレスを着ていた。
まるで龍の化身の少女のよう・・・。

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「龍の女の子」は描きたいけれど、
どうやって物語にしたらいいかわからない。
みんな、どうやって文章を書いているのだろう…。

その時、Yさんが、
某絵本作家の方がおっしゃった言葉を教えて下さった。
ある日Yさんが、
次々と魔法のようにお話をうみだす某先生に
「こんなにたくさんのお話、どうやって考えてるのですか?」
と聞いたそうだ。
するとその先生は
「ギュって考えてる」
と答えた、というのだ。

なぜか、
なぜだか、
その時に
「あぁ、そうか!ギュッと考えればいいんだ!」
と目からウロコが落ちた。
すごい秘密を教えてもらったような気持ちだった。

「一日数分でも構わないから
毎日必ず “龍の女の子” について考えてください」
とYさんからアドバイスをいただいた。

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なにかしながらチョロっと考えるのではなく、
その時はそのことだけを、
そう、それこそ「ギュッ」と考える。

次の日からさっそく実践した。

「龍の女の子」専用のクロッキー帳をつくった。
毎朝、ご飯を食べたあと、
窓辺のベッドで寝る白木(猫)の側に座って
クロッキー帳と鉛筆を握りしめて
ギュッと考えた。

ギュッと。

ギュッと。

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やがて、
「龍女の子」がどんどん変化していき、
「龍女の子」の物語が見えて来た。


まだ全然モヤのむこうにある
ぼんやりした「龍と女の子のはなし」を
口頭でYさんに聞いてもらった。

「いいと思います」

今思うと、全然良くなかったと思うけれど、
ともかく、
そこから「さくらいろのりゅう」はスタートした。

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次にYさんとお会いする時までに、
口頭で話しためちゃくちゃの話を
なんとか文章にまとめていった。
全然「絵本」を意識していない
ダラダラした長い文章だった。

文章を提出しては直し・・・・
それはそれは何回も繰り返した。

そのたびに話はどんどん変化していった。

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「そろそろラフを描いてみましょうか」
と言われるところまでやっとたどり着き、
まだまだ危うういテキストを元に
ラフを描いた。

そのラフを見たYさんが言った。
「絵はいいですね」
「でもこの絵とこの話(文章)は合わない」

うぅ・・・

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今度はこのラフをみながら
新しくお話(文体)を考えていったらどうか?
ということになった。

そこからがまた長かったように思う。

話が行き詰まったり、
ラフ(絵)が行き詰まったり。

どこかでモーゼの十戒みたいに
海が割れて道が開けたなんてことはなくて、
なんだかんだと
転んだり挫けたり匍匐前進したりしながら
「これで本番を描いてみましょう」
となったのじゃなかったか・・・。

実際、本番を描き始めてからも、
もたもたするページ展開が発覚したり、
テキストを変えることで
せっかく描いた絵がボツになったり、
もう一生終わらないんじゃなかろうか…
と思うこともあったようななかったような・・・。
(いえ、ありました・・・)

おかげさまで完成しました。
ホッ。

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デザインは、
『ドラゴンキーパー』(金の星社)
『おばけにょうぼう』(イースト・プレス)
デザインをやっていただいた椎名麻美さん。
これを言うとまた
「そんなとこ?!」と言われそうだけど、
わたしは椎名さんの「色校正」を信頼してます。
今回も良い色に仕上がりました。

そして、
長く長く長〜くお付き合い(ご指導)くださった
Yさんに感謝感謝。
あの時生まれたばかりのお子様は
もう3歳6ヶ月・・・。

時がたつのは早いですな・・・。

そんなわけで
『さくらいろのりゅう』、
無事に発売されてます。
これと言った話題性もなく、
とっても地味な絵本ですけれど、
どこかで目にすることがあったら
読んでみてください。

宜しくお願い致します。


posted by inukaki at 19:07| 絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする